投稿

命日

  昨年の今日。13:57 おそらく、お医者さんが来て時計見た時の時間だから正確な時間じゃないはず。 2回目の電話で亡くなったと聞いたから。しばらく動けなかった。てか、また立ち上がれなくなるんじゃないかの恐怖感が久々によみがえってきていた、あの時。 車ですぐに向かえば、十数分。 もう少し早く行けてれば。は、後悔ではないが、今まで本当にありがとう。と伝えたかった。 享年 数えで84歳(実年齢83歳)。誕生日の翌日に旅立った。 じーちゃん、ばーちゃんに会えたかな。

おやじさんの誕生日

  今日はおやじさんの誕生日。だった。 今はもういない。

とりま、アーカイブという名の尺稼ぎ、一旦終了? たぶんまだあるよな気がするが、飽きた。予約投稿。   お日柄的にも 切りがええ。 この頃にはウハウハしてることを望む。あくせくはそろそろ卒業。 限界は近い。 2026年4月1日

NO MONEY WORLD

  否、もとい 孫さんw 鬼灯、夢(ブログタイトルNo money world)を語る テーマ:NO MONEY WORLD 2014/05/07 21:31:56 いいね!(1) 一昨日、書いたブログ【はてさて】の 『夢って叶うん?』 の続き 結論から言えば 私個人の夢は “叶わない” でしょうね おそらく 『私が生きている間には』 て意味で 叶わない 【NO MONEY WORLD】 お金がなくとも よりよい世界に みんなで生きる 青臭いすなwやっぱ、おいら 日射病てか中2病⁇ いえいえ 大真面目です Googleだって始まりは 青臭い理念の元に始まったわけっしょ? やってみるのも一興かな?と ぶっちゃけ実際、叶わずとも 良いと思っとります 『私が生きている間には』 って意味で 【お金の必要がない】イコール 【個人的にお金に不自由しない】 ではありませぬ ただし、 最終目的地にたどり着く為には 私個人的に生活に困らない 行動に常に金銭的束縛に苛まれない 状態を何らかの方法で 通る必要があるだろう と考えているので お金を否定するものでは 決してありません なぜならば 私自身、オークションやSNSで 実際に経験した体感として 【人と金と物の関連性の重要さ】 →メモ分岐 を軽視してはまず不可能であろうな と実感していりからにほかありませぬ 実際問題、今、このブログ書いていて 「オレ、こんなん書いて大丈夫か?」 とか 「できるわけないやん?」 とか 耳元で囁き続ける もう一人の自分がいるわけで す →メモ分岐 だがしかし 目標としての軸(道筋)を持たねば 私自身迷子になりますし →メモ分岐 生活自体が建設的どころか 破滅的になってしまう 故に 考えうる最大の目標を たててみた という事になります。 これは 私の座右の銘の一つ 【鷲掴んだ後、詳細に迫れ】 の実践でもあります とりあえず、今日はここまでで この続きに関しては また後日 矢印とメモの文字は 自分自身に向けたものなので 読んでくださった方は ないものと飛ばして 読んで下さいませ 「なんか言ってる事キモい」 て 思う方は、きっとある意味正常な方だと 思います故に、静かにブラウザバックで よろしく、どんぞー 旧投稿日  2014-05-29

マインドリセット2

イメージ
  マインドが変わると 何がどう違うのか? この海も この海も この海も 海は海 だけれども 海水浴場から見る海と ダイバーが見る海と サーファーが見る海とでは 視点が違うだけで   違う海   になりますよね   しかも、時間の経過と共に 様相が一変する     同じ、街や道路を歩いてみても   ビジネスマンにはビジネスの街に見え 学生には学生の風景に見え 小さな子供にはとてつもなく 巨大な街に見えているかもしれない プロ野球選手には プロ野球選手の筋肉がつき プロサッカー選手には プロサッカー選手の筋肉がつく 私は サーファーの視点から海が見てみたいから パドリングして沖に出る パドリングするには それ相応の筋肉が必要であるから パドリングする事により 筋肉をつける そんな感じ てか、段々 偉そうに話し始めてる自分がいる 【無知の知】を 決して忘れてはいけないぞ 俺       旧投稿日  2014-05-26

マインドリセット1

イメージ
  なぜに めんどくさがりなホオズキ君が パドリングする気になったのか? といえば これに尽きる マインドを リセットしたからに他ならない …て書いてて 私の中で 一つの謎が 今、解けたわけだが それはそれでとりま おっぽっといて (・ω・*)ノ⌒° ポイ マインドを変える もしくは [スキーマ]を変えてみる 事により 見える景色を変えてみようとする 試みを今 行っているに過ぎない マインドをリセットしたのは 体育座りして 一人黄昏ていたら 後ろから行きなり蹴りをくらわされた からなわけだが それもとりあえず おっぽっといて (・ω・*)ノ⌒° ポイ リセットできたのは 【私が”それ”を持っていたから】 に他ならない 持っていない人は “それ” を持つ必要があるだろう だが 私が思うに 普通 満たされている人が “それ”を持つのが なかなかに難しい事であろうし 実行に移すには絶対的に必要なのは おそらく 【危機的状況に陥る事】 である とはいえ 実は 満ち足りた人達はすでに “それ”を持っていて しかも既に実行している と 認識していない人もかなりいる ように思われるのだが この話 ちと長いな 一旦 切りま 旧投稿日  2014-05-26

【概算】

イメージ
  残り長くて 18年弱 と見積もる 今年に入りおそらく既に 大きな役割は一つ終えた と、感じているので いつ死んでも悔いはなし である為 いってみれば既に残りは 余生である 現状、 身体のあちこちに不具合は多々あれど まったく動けないわけでもあるまいし 精神的な部分において そろそろ物忘れの症状が出始めている と自覚はあるものの 好奇心は未だ 健在である 隠居するにはまだ早いのであるならば やれる事はやっておこうかなと 【仙人は死人に似たり】 と思うが故に 直近の大厄を利用して 我が身の錆を振り払う 44はおぼろげに ここであろうと定めた ポイントとなる目先の目標地点 ここまでになにをなすべきか よくよく考えてみる必要があると 自己分析中 ※拾い画像 旧投稿日  2014-09-28 ↑ 光陰矢の如し 残り概算6年弱

本道

イメージ
アントニ・ガウディ の建築については ここでは省きますが ガウディの建築で最も 世界で認知されているであろう サクラダファミリアについて 着目 ガウディの建築物は 私なんぞが語らずとも有名なので 一度は何かしらご覧になったこと あるかと思うのだけれど とにかく 見てて楽しい上に 美しいですよね 私も最初はその目に映る心地良さで ガウディの名前を覚えたのですが 後に サクラダファミリアの建築理念を 知った時、衝撃が走りました ガウディ本人の意志としてそうであったのかは 詳しくはわかりませんが当時の建築技術で 完成するまでの期間が 300年 かかると言われえていたという事実 どう考えても ガウディは自分の生きている間に この建築物を完成させようという意志の もとに構想を立ててはいないであろう という事実を知った時、 今まで自分の中にあった固定概念が ガラガラと音を立てて 崩れ去った瞬間でありました 人ひとりの人生高々 百年にも満たない期間の中で 成せる事など   高が知れているのではないか?   この疑問符が 私の夢の長期計画の考え方の 土台となっておりまする   そして 一見、奇抜に見える ガウディのデザインには しっかりとした構造力学の理論が 根底にあるという事実 アート的アプローチ と 科学的アプローチ を合わせ持つ その建築物の姿は 見る人々を魅了してやまない その要因に他ならないのであろうと カテナリー曲線の逆さ構造 Art(アート) という言葉の語源 には元々 “技術” という意味があることを 御存知の方も多いと思われるのだが さらにさかのぼればおそらく “数式” もっと溯れば たぶんではあるが “根本の抽出” そして  “継承” とも解釈できるのではないかと 私は思う ”自然界には直線は存在しない” と なにかの本で 読んだことがあるのだが 数式や公式は ある意味 ”人工的な直線を示す定規” ととらえることも可能なのではないか?と ”一世代で事を急がない” ここに来ると思い当たるのは 二世、三世という言葉 →分岐 15代まで続いた徳川幕府も 役300年だったように記憶している そして数的アプローチは 西洋文化の特徴とも言ってよいと思うのだが このアプローチが 先のブログ絵も述べた 洋物テレビゲームと 日本製テレビゲームとの 売り...

思考のそぞろ歩き

  ※筆者の拙い文章力に加え  若干内容が難解かもしれません。  そして、敢えて文字のみで  構築してあります。  読みたい方は読んでみて  読みたくない方は読まないでも  全く、差しつかえありません。  後ほど、おそらく解決されますゆえに。   あっ  という間に… ________________  人は真っ直ぐに    歩き続ける事は出来ない。 ________________  例えば、の話である。 試しに目を瞑って白線の上を 真っ直ぐに歩いたとする。 しばらく歩いた後、 振り返って見る。 きっとそこは 白線の上じゃないでしょう。 「できる」という方は この後の話は 必要でないと思われます。   素晴らしい!   はい さようなら!!  大概の人は、悩み、迷い、壁にぶつかって 時には一歩も前に進めなくなった経験の 一度や二度 あるのではなかろうか? その状態をここでは仮に   【思考のそぞろ歩き状態】 と 総称してみる。 あっちこっちに蛇行を続ける。 人によっては ある一定の範囲内において 迷走を続ける。 一定の範囲内において 迷走を続けていると そこにある種の法則 (行動パターン・思考パターン) が生まれ 悪循環となれば   ” ぐるぐる ” が始まる。 良循環もまた例えるならば ”ぐるぐる”なわけだが 一般的に ”ぐるぐる” と言われた場合 ”出口のない思考を繰り返してしまう事” を指しているといって過言 ではないでしょう。 この”ぐるぐる”を 長い期間持ち続けていると 時間軸が生まれ 最近流行りの言い方をすれば 負のスパイラル状態 に突入するといって 差しつかえないでしょう。 自分自身では 同じところを回っている感覚 であったとしても 時間が経過すればするほど その渦は他の事柄にも干渉を始め、 大元の”ぐるぐる”の原因が なんであったのかを見失う。 —————————— 例えばである。 今現在、行っている行動の中で 足りないものが生じたとする。 ——————————  男性の場合であれば、 日曜大工の途中に釘が足りなくなった。 だとか 女性の場合ならば 、料理をしていた時に どうしても必要な 調味料が足りなくなった。 何でもよいのだが その不足した物を 買い出しに行く為 街に出たとする。  男性の場合は単純に目的地に向かい 目的の物を手に入れて...